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「あすなろ歯科院長:
    野村英孝をより知っていただくために」


新潟大学歯学部を卒業後、県内の開業医勤務(2医院)を経て、平成15年1月23日あすなろ歯科を開設いたしました。開業後は地域の多くの皆さんに来院していただき、自分なりに精一杯、歯周治療の必要性、むし歯予防の必要性を伝え、治療・予防を行ってきたつもりでいました。
しかし、まだまだ不十分なところが多く、更なる歯科予防の必要性を!患者さまが一生自分の歯で食べることができるための知識、技術を身につけそれを患者さまに伝えていかなければ!と、日々感じております。
《幼少時代》

幼少時代6歳くらいまで、自分で指しゃぶりをしていたのを覚えています。おかげで気づいたときには上の前歯は出っ歯になり、下の歯は親ゆずりの叢生(歯並びが悪いこと、歯が込み合っている状態)で幼少のころは「出っ歯」というあだ名で、大学時代に自分自身の模型を作った際には、「怪獣みたいだな〜。よくこれで食べられるな〜。」と思ったほどでした。

《小学校時代》
 
 父は自動車部品造るプレス会社に勤務していました。プレス技術には、経験と技術が必要らしく、父の技術は会社でもピカイチだった様で、主任技師というポストを得ていました。
  「先生!って呼ばれているんだ。」
  「主任技師は偉いんだ。」
と誇りにしていたのですが、最終的には
「神様って呼ばれているんだ!」と言い出すほどで、

幼少の私には父の仕事上での評価はよくわかりませんでした。父の仕事は忙しく、毎日、朝は私が起きたときにはもう出かけるところで、「おはよう」のあいさつ程度、夜は私が寝た後帰ってくる。日曜日も1日中家にいるということはほとんどなく、逆に日曜日父がいると、不思議でした

母のいない日曜日に父がいたときに、
「お昼はどうしたらいいんだろう。何か作らないといけないのかな〜。」と思うが、父に聞くことはできずじまい。本当に接点がなく、話をすることも珍しく、仕事ばかりしていた人でした。「1年360日くらい働いていたかな〜」と今になって話しています。

当時、母は「うちは母子家庭だ!」「お父さんは当てにならないから。」と父抜きで1年に1回くらい2泊程度の旅行に連れて行ってくれました。

という母も看護師でしたので、夜勤で家を留守だったり、急患さんが運ばれるという連絡が入ると夜9時過ぎに再び出勤するといった状態で、男兄弟3人で留守番をよくしていました。

そんな母はよく、「先生と言われる程の馬鹿はなし」と言っていたのを今ではよく思い出します。

「親の背中をみて子は育つ」とよく言いますが、まさに父は仕事ばかりで家に居る事はなく、母もそんな状態でしたから両親して「よく、まっすぐ育ったね〜。」というほどです。

今はともに隠居生活をおくっていますが時々父は
「私は主任技師だから!」「技術屋ですよ!」
「やるっきゃない。」
と当時のこと酔っ払うと話してくれます。

ちなみに、あすなろ歯科に父の会社に勤務している方の奥様が来院した際に
「えっ!あの神様の野村さんですか!」と、父のことを言ったのは笑えたのと同時に、会社での父は凄かったんだな〜っと改めて感心しました。

《中学・高校・そして浪人・・・》

中学になるとそんな父の影響か、自動車会社に勤めたい、技術を身につけたいと思うようになりました。兄2人とも県内の進学校に通っていましたので、その影響もあり勉強もそれなりにし、それなりの成績でした。
 
しかし、高校受験に失敗。当日発表後、頭は呆然となり、合格した同級生とは異なる時間に中学校に行くと、担任の先生が私だけ校長室に呼んでくれ「くやしいだろ!」と一緒に涙を流してくれました。帰り道は小雨で、傘を公園で投げつけたら壊れてしまい、ぬれて帰宅しました。兄弟3人の中で私だけ、違う私立の市外の学校に通うこととなりました。

「俺だけ違う制服。」入学式当日も雨で、カッパを着て自転車を漕いで駅に向かいました。「あ〜あっ。なんで俺だけ、こんな目にあうんだ。」と雨と汗でびしょびしょになって、あまり行きたくもない高校生活が始まりました。

そんな、人生初の挫折の中で、母が看護師あったこと、すぐ上の兄が医学部に進学していたことが影響し、「俺も医者になってやる。」と医者になること決意しました。

医学部に行くんだ!と決意した私は、高校時代は部活もやらず、まさに「ガリベン」の毎日でした。朝は6時に起き1時間勉強。授業が終わると、急いで最寄の駅へ直行。電車の中では、単語帳を繰り返し読み、帰宅すると、母が帰ってくるまで勉強し、食事が終わると、夜1時まで机に向かう。当時の担任の先生から「4当5落」という話を聞き、せめて、睡眠時間5時間以下にし、それ以外は机に向かうようにしました。

教科書の内容はほとんど独学で行い、授業中は復習に当てる。数学などは教科書の内容は2年の夏休みまでに終了させ、それ以降は受験対策。あまり意味がないと思った授業は自習に当てる、といった高校生活でした。今考えると、かなり能率が悪いように思います。そのせいもあって、現役時には、医学部などは手も届かない、状態で、一応受験しただけ。

そのまま浪人。「もし、1年で結果が出せなければあきらめる!!」と自分自身に決断し、さらにガリベンを続けましたが、センター試験で結果は惨敗。仕方なく、すぐ上の兄が新潟にいることもが影響したのか、「医者という立場で人に貢献したい。」という思いから、新潟大学の歯学部を受験。めでたく、1浪の末、歯科医師への道が開けました。

高校・浪人の時代に戻りたいか?と質問されると、即答「戻りたくない」ですが、あれほど1つのことだけを考え、それだけをすればいいというのは、長い人生の中でもほんの数年であろうと思います。当時の結果は願っていたものには届きませんでしたが、結果どうであれ、その過程において目的に向かい最大限努力する。そこから得られるものは結果以上であると思っています。


《大学時代》
大学時代はうって変わって、バイトと部活をする毎日。
部活はラグビー、週の3〜4日練習し、日曜日は試合になることありました。弱小チームでしたが、精一杯やっていました。

5年生のときにはキャプテンを任されました。といっても私の学年は2人しかいなかったので、もう一人が副キャプテンですが・・・。
今でもラグビーがやりたい気持ちでいっぱいです。

アルバイトは家庭教師のバイトと2年生の1年間はローソンで夜中のバイトをしていました。稼いだお金でバイクの免許を取り、バイクに乗り出し、3年経った頃に事故を起こし、救急車で運ばれてしまいました。

大事には至りませんでした。慣れた頃、3日目、3ヶ月目、3年目はまさにそのとおりで、気の緩むころに十分注意をしないといけないと痛感しました。


《就職》

 卒業し、県内の開業医へ就職。1年目は本当につらい日々でした。
まずはアシスタント業務から再教育を受け、衛生士業務、保険点数の理解、歯を削る練習と毎日毎日怒られながら、患者様と当時の院長先生・スタッフの皆さんにご迷惑をかけ、失敗と反省の毎日でした。

歯科医師1年目であれば誰でも通る道ですが、毎日毎日失敗を繰り返す中で「あ〜あ、なんて俺はセンスがないんだろう。歯科医に向いてないんではないだろうか?」と思うほどでした。

少しでも勤務先に着くのが遅くなるようにしたことなどもよく覚えています。当然遅刻などはしたことはないのですが、そんなお恥ずかしい時代もありましたが、それでも診療後、模型を使って練習をしたり、専門書を読むようにし、日々患者さんとその当時の院長先生・スタッフに迷惑をかけながら、成長していきました。

当時の厳しい日々から歯科医師としての基本的な技術を学ぶことができたと感じています。

 3年過ぎた頃、分院長を任されるようになっていました。そのころは、まだまだ歯科医師として半人前でしたから、いろいろご迷惑をお掛けしたこともあったように思います。ただ、当時の経営者に
「先生の給料を出せば、変わりはいくらでもいるんだ!」
とお叱りを頂いたとき、

「私は金で雇われているだけか・・・。」と考え、ここではもう働けないと分院長を辞めることにしました。

人と人とが向き合う時、様々な価値観があると思います。

今になればよき学びを得られたと思います。


ありがたいことに分院長当時の治療をさせていただいた患者さまが、知り合いに聞き、お車で1時間程かけて、あすなろ歯科を捜して、私の治療を受けに来院していただけたとき、驚きと感謝でいっぱいでした。

その後、県内でも有名な高崎の歯科医院に再就職しました。そこの院長は勉強熱心で・自分自身の投資を惜しまない方でした。

 毎日、夜遅くまで、仕事をしていたようで、3時間しか寝てないよと嘆いていることもしばしばでした。歯科医師会の活動も行い、自分の所から出て開業した先生方を集め勉強会を開いたり、そうかと思えば月に4回以上は東京や大阪などに講習会に出席したり、自分が演者として出席したり。本当に歯科医院・歯科治療に全力を注いでいました。
「自分の知識・教養に貪欲であること」
「仕事に熱心であること」
「時間の投資を惜しまないこと」
を学んだように思います。
その先生はよく「え〜。家族サービスができないよ〜。」とおっしゃっていました。

《開業そして今・・・》

高崎の歯科医院から、当時勢多郡大胡町という、郡部での開業。高崎で患者さまに受け入れられていた、むし歯予防のための「唾液の検査」や「歯周治療」を受け入れてもらえませんでした。
 さらには、「予約制」の意味や診療時間に関しても受け入れてもらえず、

どこの地域でも同じだと思っていた私は、
「あ〜、こんなにも地域差ってあるんだな〜。」と、当時は地域のせいにしていました。


治療方針に関しても
「歯周病の治療なんていいからサッサと銀歯入れてくれ!」

衛生士が歯周治療をすると、「今日は治療はしてくれないの?」などなど・・・

予防の必要性や歯周治療の意味などを受け入れていただくことが出来ず、正直そのギャップに驚きました。すべての患者さまがこうだったわけではありませんが、正直戸惑ったことを今でも忘れられません。
開業当初より
  すべての患者さまに歯周治療を受けていただきたい!
  カリエスフリー(むし歯ゼロ)を目指すんだ!
  定期クリーニングによって快適な口腔内の提供を!
                            と思っていましたが・・・・・ 

開業して1年半が経ったころ、私の方針を受け入れていただけない患者さまに、私のイライラは募っていきました・・・・

2年過ぎたころの あすなろ歯科の雰囲気は最悪で、患者さまとケンカになったこともありましたし、スタッフにとっては働きづらい職場になっていたと思います。
  そして・・・・ついに衛生士の1人が辞表を持ってきました・・・・・
  しかも一番信頼し、まかせて安心な衛生士でした・・・・・

当時の私は、
 あすなろ歯科をやめて違うところに医院を建てよう。場所が悪かった!
 いいスタッフが集まらない。やっぱり場所が悪い!!
 何で、こんな嫌な思いをして歯科医師やってんだろう。
                           と全てを他人のせいにしていました。

 ただ、何かを変えなくてはいけないことは気付いていたように思うのですが・・・。しかし、変え方がわからない状態でした。

そんな時、以前勤務していた院長からお誘いいただいたセミナーで。
「他人と過去は変えられない!自分と未来は変えられる。だから頑張れ!」
                       と聞かされ、人生が変わった気がします


 
そこからはすごい勢い(スタッフも驚くほどのスピード)で変化を始めました。数年ぶりに来院した患者さまからは別人に間違われるほどです

私が変化を始めると、スタッフが少しづつ変わっていき、医院が少しづつ変わっていきました。そしてみんな一生懸命でした。
  スタッフとはとても仲良くなれた気がします。

今でも、様々な取り組みを行い、変化を続けようとしていますから、スタッフは正直大変そうです。
 それでも仲間がいる、そこに集う人がいるから、頑張ってくれています。
  時々、写真を見返すと本当に今のスタッフはよく笑っています。
  スタッフがいて、笑顔があふれていること、とても幸せに感じます

 「あすなろ」とは「明日はヒノキになろう」という意味です。明日のために努力する。ヒノキにさえなれないかもしれないけれども前に進むことを惜しまない、そんな医院でありたい。患者さまの利益になること・感謝されることを日々の目標に、治療・知識の習得に励む医院でありたいと考え、「あすなろ歯科」という歯科医院にしました。

「先生のおかげで・・・」と言われる一言は本当に涙が出るほどうれしい言葉です。自分の利益だけ考えていたのでは、周囲の方から感謝されることはありません。これからも、もっと自分自身の知識・技術の向上に、日々努力を続けていきたいと考えております。


 
産婦人科の両親学級にて「むし歯予防セミナー」


 《エピローグ》

あすなろ歯科  医院理念「一生自分の歯で食べるための手助けを・・・」
来院者の方々(患者さま)が歯に困らず、人生を楽しめる。
 歯のことなど忘れて、来院者がその方の価値観通りに生きられる。

そのためにプロとして、できるお手伝いをしていきたいと考えています。

 来院者の方から、あすなろ歯科に来ることが「楽しい」「元気を分けてもらえる」「元気になれる」と言ってもらえるような医院をスタッフと作って行きたいと考えています。

 あすなろ歯科のスタッフが自ら考え行動し、自分の人生を謳歌できる。
そこから笑顔があふれ、人と人との輪(和)広がっていく。

スタッフが自立し、行動できる組織・システムを作っていくこと、それが今の私の目標です。






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